松山の郷土芸能だった「野球拳」 本当は脱がない? [地域情報]
今月初め、松山で
「野球拳全国大会」が開催され、
老若男女約200名が参加した
野球拳の「全国大会?」
女の子も参加!?
どんな事態になるのか・・・・・
と、思いきや、
今回の「全国大会」では、
ジャンケンで負けても服を脱がなくて良かったという。
いや、そもそも「野球拳」とは、そういうものらしい
わたしは、てっきり低俗な夜のお遊びと思っていたのだが、
なんと、愛媛松山の伝統ある郷土芸能だとか
大正の時代、
松山の野球チームのあるマネージャーの発案で、
試合後に両チームのメンバーが集まり、懇談会を開き、
その中の余興のひとつとして
各チーム選抜3名が踊り歌いながらジャンケンをして
大いに盛り上がった
というのが、「野球拳」の発祥らしい
「全国大会」なる催しも今回で第42回目を迎えるという、それなりの歴史あるものだそうだ
しかし、
わたしを含め、世間一般では
野球拳=負けたら脱ぐ
という認識をもっているはずだ
一体、どこから、この伝統芸能がおかしなゲームに変化していったのか?
欽ちゃんだ
かつての視聴率男
コント55号の
萩本欽一
社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の創始者
萩本欽一
その欽ちゃんが
野球拳を変えてしまったのだ
そういえば、わたしも覚えている
コント55号のレギュラー番組の中で
本来の野球拳の歌と踊りをしながら、それに加えて
〝負けたら脱ぐ〟という勝手なルールで
番組でやってしまったのだ
この番組が予想以上に当たり、
一気に全国民に認識されることになり
「野球拳=負けたら脱ぐ」というイメージが定着したらしい
わたしも今日、その事実を知った
松山の人々はさぞ不快な思いをされているのではないか?
なお、後に欽ちゃんは松山を訪れ、野球拳の家元に謝罪をしたとか